頸椎損傷-3

頸椎損傷

ここまでは順調に回復できていたかのように思われるが一方で悩ましい問題も起きていた。それは便秘と疼痛である。どちらも頸椎損傷で見受けられる症状だがこの時はまだ知らない。それがのちに暗い影をおとすのだがそれは後で記そう。

どちらも病院側は承知で入院したその時から対処薬を処方してもらっていた。説明もないままだったので頸椎損傷でそんな症状が出るとは知らない。この時はただ歩けなくなるかもしれないというくらいの考えだった。最初は麻痺して感覚がなかったが2週間目には痺れに代わっていた。便秘はまだ自覚がなかった。

主治医が誰とかも知らないまま治療は行われていた。入院した病院は公立のもので急性期病院だったため転院が決まっていた。転院先も決まっていたのであろう。選択肢はなかった言われるがままに治療を受けた。そうやって最初の一か月は過ぎた。車いすにも慣れリハビリはようやく歩けるくらいで次の入院先へ送られることになった。

次の転院先は整形外科ではなく内科でリハビリ科がある個人の小さな病院だった。主に脳梗塞になった人が治療を受けていた。売店もなく喫煙所もないことを聞き最初は違う病院を探すと言ったが地元の病院はここしかなかった。探すなら県外だと言われ仕方なく受け入れた。

当時はまだ病院はタバコが吸える時代だった。自分はヘビースモーカーであって当時1日3箱くらい吸っていた。最初に入院した先には喫煙所があり一日の大半をそこで過ごしていた。売店もあり夜食、缶コーヒー、タバコを買っていた。それが次の病院にはないことを聞き転院先を探すと言ったが無理で病院側には施設外でタバコを吸っていいと言われそれに応じた。(現在は病院の敷地内での喫煙は違法です。)脳梗塞の患者がいる中で喫煙してもいいということはどんなにわがままだったであったろう。無理を通した。

次の入院先は土曜も診察を行っていた。リハビリの休みが日曜の一日だけだというのはありがたかった。そこで残りの2日月間を過ごした。頸椎損傷は国民健康保険の決まりごとがあり3ヶ月だけ保険がおりるので3ヶ月だけ入院することになっていた。もちろんその時はそれで治るなんて考えてもいなかった。もし可能だったら1年は入院する気持ちではいたが。

次の入院先は決まった。今度の理学療法士は女性の方だった。

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